投資や運用をすると絶対貧乏になる?

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結論

サラリーマンをリタイアするためにお金をつくろうとする人の中に、株はどうですか?index投資はどうですか?という質問をする人がいます。

 

Voicyのサウザーラジオではそんなんで勤め人卒業できるわけないじゃないですかと切り捨てます。

 

本屋に行くと株や投資信託で資産運用する本が並んでいますしテレビでもNISAやidecoといった金融商品が紹介されるので誰もがお金に余裕があったらやりたいなあと思うのではないでしょうか?

 

しかしサウザーラジオは「投資や運用に逃げるな」と断言します。

 


勤め人から卒業する道は商品をつくることだけ

 

商品の集合である資本主義というフリーマーケットに自分自身の商品を持ち込むことで自由になれる。自分の商品を作ることしか勤め人から卒業する方法はないとサウザー氏は断言します。


そうしないと、労働力という唯一の商品を売って、労働力を回復させるために給料をもらう毎日の繰り返しだといいます。

 

でも、仮想通貨の値上がりに早く気が付いた人はずいぶん儲けたよ。という話も聞きます。もう一度そんなことがおこれば乗り遅れたくないと思うのも自然な気持ちかもしれません。

 

サウザーラジオの中では途中から投資とは言わず、「相場」と呼ぶようになり最後には「ばくち」と言い捨てます。

 

「商品を作るという発想がない人はFXや仮想通貨といった相場に手を出したがる。」
「仮にそれで数千万手に入れてもまたそのお金でばくちを打ち続けていずれ負ける。」

 

投資や運用ってそんなに悪いことなんでしょうか?
その理由についても語られます。

 

投資や運用を目指すと勤め人を卒業できないのはなぜ?

なぜサウザー氏は投資や運用を否定するのでしょうか?
いままで誰からも聞いたことのない答えで気持ちよかったです。

 

「投資商品は結局は誰かが作った商品で買わされる側に立っているうちは勤め人を卒業できない。」

 

「誰かが作った商品を購入するばかりで自分で商品をつくろうとしない、これが勤め人脳。」

 

なるほどねー。痛いところをついてきます。

商品というキーワードがここでも出てきます。
株とかに手を出すひとは金融商品という商品をかわされている消費者ってみることもできるんですね。

 

考えてみるとわたしも商品を買うことでお金を増やそうと思ったことがありました。

 

投資や運用は本当にギャンブルなのか?という疑問


私のばあい、会社の後輩がマンション投資をしていて興味を持った時があります。

彼は20代で2,000万円台の投資用ワンルームを2軒持っていました。


収支は少しのプラスですが、節税分で住民税が減るんでもう一軒買おうと思ってるんですよー。

なんて言っていて正直うらやましく感じたことがあります。

ただ彼も結局その節税効果はすぐになくなり、その投資はあまりうまくいかなかったようです。

 

金融商品と同じく投資用マンションも「商品」で、それを買わされる側にいてはいつまでたっても消費者という考えかたはシンプルで気持ちがいいです。

 

「商品」を買う側、ではなく売る側に立つという考え方はシンプルでぶれないと思います。

 

とはいえ、私自身の考えとして投資や運用は資本主義のゲームの中で労働力を売る以外にお金を稼ぐ立派な手段だと考えます。

 

確かに「金融商品」という商品を買う側にたつので、手数料という形でいくらかのお金を取られますが競馬やパチンコとは比べ物にならないフェアさがあると思います。

 

また、消費者として利益目標や資源の配分を自分で決めることができるのは消費者側のメリットだと考えます。

 

さらに金融商品販売元と消費者は搾取する、側される側といった対立軸ではなく「利益を得られるからたくさん取引をして手数料を払える」というWin-Winの関係になれると考えています。

 

サウザー氏は金融業界で仕事をしていたそうなのでこの考えは全く話にならないと相手にされない気はしますが、金融商品の運用で経済的に自立している人を何人も知っているので私は投資・運用はアリだと考えています

 

まとめ


勤め人から卒業する方法は自分の商品を作って資本主義というフリーマーケットに持ち込むしかない。
商品を買わされる側にいればいつまでたっても貧乏のままです。とサウザーラジオのサウザー氏は言います。